2010年1月11日月曜日

トーゴ代表チームへの銃撃から連想すること

アフリカ選手権に参加するため、アンゴラに滞在していたトーゴ代表チームは、大会を欠場し、帰国する見通しです。


トーゴ政府は、代表チームの帰国用の専用機を手配したようです。


トーゴ代表チームは、アンゴラの反政府武装勢力から銃撃を受けました。この銃撃により、3名が死亡し、トーゴ代表チームのゴールキーパーは背中から撃たれ、重傷を負いました。


今回、トーゴ代表チームを銃撃した反政府武装勢力は、今後も攻撃を継続すると警告し、今回のアフリカ選手権の試合を中止するよう要求しているようです。


今年、南アフリカではアフリカ大陸初となるワールドカップが開催される予定です。


南アフリカは犯罪率は高いが、紛争地域ではないから大丈夫との見方があります。


1972年のミュンヘンオリンピック会期中、パレスチナゲリラが選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃し、イスラエル選手団のメンバーが殺害され、人質になった9人の救出も失敗し、銃撃戦の末、人質9人全員とゲリラ5人、警官1人が死亡する惨事となりました。


当時、ドイツは紛争地域ではありませんでした。


1972年当時、日本は1971年12月を不況の底として,1972年に入ると生産・出荷ともに上昇に転じ,月を追うごとに景気は回復の基調を強めていました。


日本では浅間山荘事件が起き、また、テルアビブ空港で日本赤軍が、自動小銃を乱射し、26人が死亡、73人が重軽症を負うという事件も起きました。


景気が回復に向かう中という相似する状況にあるところ、こうしたテロが再現されないことを願うところです。


今後の推移を見守りたいと思います。